「目標を見失っていた高校生の頃と、明確な目標を持っている今の違い」
目標を見失い、辛い練習に耐える日々
こんにちは!ブルーベリーファーム呉の横山です。
今回は、高校生活を振り返り、今の原動力になっているものについて考えてみたいと思います。
小学校の時に始めたサッカーは、中学校、高校と進学しても熱が冷めることはありませんでした。高校では、小学校・中学校以上に、サッカー漬けの日々となっていました。
平日の帰宅時間は、グラウンドから自宅までが遠かった旨、夜23時を超え帰宅する毎日でした。
高校生活を振り返り、「当時、楽しかった?」と聞かれても、「わからない」と答える自分がおり、決して楽しい高校生活では無かったかもしれません。
その原因は、「いつしか明確な目標を見失っていた事」が一つの要因だったと思います。
高校入学の選択要件の一つは、ぼんやりと「全国大会に出場したい!」だった為、サッカー強豪校である事でした。
入学した高校は、当時、大阪の強豪校として有名であり、全サッカー部員は80名を超え、私以外の多くの部員は、スポーツ推薦で入学した学生でした。
“一般入試で入学した私“と“スポーツ推薦で入学した学生“では、圧倒的に実力差は違い、高校三年間、一度も公式戦に出場する事はなく、ポジションは応援隊でした。
つまり、一般的には、「別の高校を選択をした方が良いんじゃない?」という見方になると思います。
しかし、試合に出るチャンスはゼロだったのか?と問われると、そうではないと思っています。
周囲には非常に上手な学生が多かった為、練習を重ねるにつれ、自身で限界を作り、
「どうせ、自分はレギュラーにはなれない」と決めつけていた結果、入学した当初ぼんやりと描いていた「全国大会に出場したい!」という目標を、いつしか見失った結果、ただ辛い練習に耐えるだけの日々になってしまった様に思います。
友達の存在により、目標を再設定することで乗り越えた三年間
公式戦に出場する事ができない私でも、強豪校であった為、毎週末、全国の強豪校との試合・遠征する事が多かったです。試合をした高校には、後に、プロサッカー選手になった学生もいました。
入学当初描いていた「全国大会に出場したい!」という目標をいつしか見失い、毎日辛い練習に耐えるだけの日々でした。
また、一部の学生は、公式戦に出場している輝かしい事実もあり、悔しい感情・嫉妬心はありました。
しかし、その様な中、続けることが出来たのは、「友達の存在」だったと思います。
辛い練習・悔しい想いをせず、学業に専念する選択、つまり、「サッカーを辞める」という選択もあったかもしれません。
その中、「全国大会に出場したい!」という目標を見失い、辛い練習・悔しい想いはあっても、友達と一緒にサッカーをしたいという気持ちが、辞めたいという気持ちを勝っていました。
それは、単純に友達とサッカーをし、一緒にいることが楽しかった理由もありますが、
友達と、目の前の試合に勝つという目標を再設定することで、辛かったサッカーを続ける事が出来たと思います。
高校入学時、なんとなく描いた「全国大会出場」の目標は叶いませんでしたが、サッカーを続けたことで、サッカースキルだけでなく、「目標を明確に設定する事」を学ぶことが出来ました。
「会社から“ぼんやり“」した目標ではなく、「自ら“明確な“」目標設定へ
このブログを書いている時、ふと思った事があります。
人生の目標を掲げ、なりたい姿を叶えている人って、どれくらいの確率なんだろう?
会社に勤めると、人生の目標・なりたい姿とは違った、会社から与えられる目標というものも出てきます。
「自ら掲げる目標」と「会社から与えられる目標」は、同じ“目標“でも、少し違う様に思います。
脱サラした今、会社からの与えられる目標は無くなり、自ら掲げる目標が、主となりました。(別のブログ記事で、掲げている目標は書きたいと思います)
年齢を重ね・ライフイベントにより、自ら掲げる目標/なりたい姿を描く事は、難しくなるように思います。
なぜならば、自分一人だけの人生でなくなるから。
高校時代を振り返ると、いつしか目標を見失った結果、自ずと自然と楽しくない学生生活を送っていたと思います。しかし、友達の存在により、目標を再設定し、サッカーを辞めず、人間として成長する事が出来ました。
脱サラした今、目標・なりたい姿を達成できるのかぁ?という不安・怖さはあります。
しかし、高校入学当初の私とは違い、ぼんやりとではなく、明確になりたい姿・目標・夢を描くことが出来ていると思います。なので、パワーが漲っています!
このように自ら目標設定出来ていることは、自分という人間、自己理解が進んできたと感じます。
それ以上に、妻の理解・支えが大きいのですが、、、感謝です!